その昔あった仏生寺(ぶつしょうじ)をルーツに文明16年(1484)に天龍山 常楽寺としたのが始まりという。
国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来立像(1263年、円覚作)のほか、徳川家康から贈られたと言われる鐙や鞍など興味深い逸話は枚挙にいとまがない。こちらの画は江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行された尾張国の地誌「尾張名所図会」に描かれたかつての常楽寺。

家康が3度訪れた寺
第八世住職の典空顕朗(てんくうけんろう)は、於大の方の妹の子で、徳川家康と従兄弟の関係になる。このことから、家康が1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いや1582年(天正10年)の本能寺の変、1589年(天正17年)の上洛(じょうらく)の際と、合計3度(諸説あり)、常楽寺に立ち寄っていることから徳川家康ゆかりの寺として知られている。
1924年(大正13年)には、火事により多くの建物を焼失。1940年(昭和15年)に再建された大きな屋根や柱が立派な本堂がある。1987年(昭和62年)には、老朽化のため取り壊された山門も再建されている。


国指定重要文化財「木造阿弥陀如来立像」
常楽寺の本尊である「木造阿弥陀如来立像」。体内に「弘長3(1263)年7月法橋円覚作」の名がある。その墨書きが残っていることと、姿や衣紋(えもん)の美しさから国の重要文化財に指定されている。


常楽寺の塔頭寺院(たっちゅうじいん)
塔頭(塔中とも表記される)とは、いくつかの建物が並んで群れをなす、大きな寺院の敷地内にある独立寺院のこと。本来は禅宗の寺院のなかに設けられた高僧の墓のことを意味し、弟子たちがその周りに小さな庵を建てて守っていた。こうした小さな庵が時を経て増え、それぞれが寺として独立する流れとなり、転じて塔頭と言う言葉が使われるようになった。塔頭と言う名称は、塔の中で最も上位にあることや、あるいは塔のほとりに建つことに由来すると考えられる。
超世院(ちょうせいいん)
遣浄院(けんじょういん)
真如院(しんにょいん)
来迎院(らいこういん)


願いが叶うか分かる?!抱き地蔵
敷地内の本堂に向かって左側にある観音堂の中に抱き地蔵がある。願い事をした後に、「抱き地蔵」と呼ばれる地蔵を抱いて、軽く抱けたら願い事が叶い、重くて抱けなければ願い事は叶わないといわれている。ぜひ、試してみては。

■こちらのサイトもご参考ください。
https://oteramap.jp/jourakuji-handa/
塔頭寺院 参考URL
https://www.homemate-research-religious-building.com/useful/glossary/religious-building/2047501/
