育てる、つくる、届ける。
カゴメに学ぶ、 これからの食と農業
カゴメに学ぶ、 これからの食と農業
今や食卓に欠かせないトマトケチャップ、そして洋食を引き立てるウスターソース。私たちにとって身近なこれらの味も、かつては誰も知らない「新しい食文化」でした。
実はカゴメの始まりは、トマトケチャップでもソースでもなく「農業」。明治32(1899)年、創業者・蟹江一太郎が当時まだ珍しかったトマトなどの西洋野菜の栽培に挑戦したことから、その歴史は始まります。当時は売れなかったトマトに未来を見出し、試行錯誤の末に生まれたトマトソースやトマトケチャップ、ウスターソース。今では当たり前の味の裏側には、知多の地から始まった驚きの挑戦物語がありました。しかもカゴメは現在も農業を営み、生鮮野菜の販売を続けています。
今回はカゴメ記念館や創業の地・上野工場を訪ね、創業の歩みやものづくりへの思い、未来の農業への取り組みを再発見。いつものケチャップやソースが、きっと少し特別に見えてくるはずです。

「カゴメ料理の栞」(昭和28年)より。モダンなキッチンにケチャップがよく映える、当時憧れのアメリカ風ライフスタイル
知多から始まった、日本の洋食文化ストーリー
トマト王・蟹江一太郎の諦めない心から、
ニッポンの「おいしい」が生まれた
フルーツのように甘く、濃厚な味わいのトマトが当たり前のように並ぶ時代になりました。しかし明治時代、日本ではまだ珍しい野菜だったことをご存じでしょうか。赤くて見慣れない野菜は「どうやって食べるの?」と当時はなかなか受け入れられませんでした。そんな時代に、その可能性を信じて挑戦したのが、後に「トマト王」と呼ばれる蟹江一太郎です。
明治32(1899)年、一太郎は軍隊時代の上官の言葉をきっかけに、西洋野菜の栽培を始めました。レタスやタマネギ、ニンジン、キャベツなど、当時としては珍しい野菜ばかりです。しかし、その中でもトマトは苦戦しました。見た目も味もなじみがなく、「赤くて青臭い野菜」として売れ残ることも少なくなかったそうです。
普通なら「売れないからやめよう」と考えるところですが、一太郎は違いました。「生で売れないなら、加工すればいい」。この発想の転換こそが、後のカゴメの原点となります。ある日、一太郎は名古屋のホテルで出会ったトマトソースのおいしさに驚き、料理長から分けてもらった一瓶を持ち帰ります。そして家族とともに研究を重ね、自宅の納屋で試作を繰り返しました。今のような設備も情報もない時代です。まさに手探りの挑戦でしたが、明治36(1903)年にトマトソースづくりに成功。その5年後にはトマトケチャップとウスターソースの製造も始めました。当時は『食道楽』に登場したカレーライスやコロッケ、オムライスなどの洋食が話題を集めていた頃。一太郎は、その先に広がる新しい食文化を見据えていたのかもしれません。
さらに注目したいのは、農業への取り組みです。加工用トマトを安定して確保するため、農家との契約栽培を進めました。現在では一般的な仕組みですが、100年以上前としては画期的な発想でした。良い商品は、良い原料から。その考え方は今もカゴメに受け継がれています。売れないトマトから始まった挑戦は、日本の洋食文化を支え、カゴメを世界第3位のトマト加工会社へと成長させました。私たちが何気なく口にするトマトケチャップやソース。その一滴一滴に、100年以上前から今へ、そして未来へと食卓の幸せを繋いだ挑戦の歴史が息づいています。



「カゴメ料理の栞」(昭和28年)より
取材協力: カゴメ株式会社上野工場
参考資料: 明治村公式HP、「食生活の変化 -この100年-」山下満智子著

トマトジュースを手にするカゴメ創業者・蟹江一太郎。
トマトジュースは1933(昭和8)年発売のロングセラー商品です
カゴメが世界初!
チューブ入りケチャップは今年で60周年

1966年、カゴメが世界で初めて発売したプラスチックチューブ入りケチャップ。
軽くて使いやすい新容器は大きな話題となり、家庭の食卓に広く普及しました
料理本と料理教室がブーム

大正から昭和初期にかけて、料理本や料理教室が大ブームになりました。主婦向け雑誌やラジオでも洋食や中華料理が紹介され、新しい料理が次々と家庭の食卓へ。こうして生まれた豊かな料理のレパートリーが、今の日本の多彩な食文化につながっています。
