~老舗料亭に残される歴史の群像~
写真はその時代の空気感、人々の生活、街の有り様などを後世に伝える貴重な資料です。
今回のStepでは半田市亀崎の老舗料亭「望洲楼」の9代目 成田新左衛門さんが大切に保管・管理してきた半田亀崎の明治・大正・昭和の写真コレクションの一部をお借りして構成しております。
港町、亀崎
江戸時代に三河と伊勢を結ぶ交通の要所となり「港町」として栄えるようになった亀崎。港には数多くの船が往来し、伊勢参りの旅人をはじめ、日本全国から多くの人が亀崎を訪れるようになります。19世紀過ぎには酒造業が盛んになり、最盛期には50軒もの酒蔵が亀崎地区にあったと言われています。亀崎で造られた酒の多くは、海路で江戸へと運ばれ、舌の肥えた江戸っ子に重宝されました。灘(兵庫県の南東部)よりも江戸に近いという利点を活かし、知多半島の酒造業は大きく発展していきました。時を同じくして知多木綿や廻船業など、職工の町としても亀崎は賑わっていきました。

望洲楼の座敷より望む衣浦湾の様子。浄顕寺の鐘楼が見え、民家が密集しています。

朝のラジオ体操の様子

1956年(昭和31年)に最初の橋が完成した衣浦大橋。当時は「東洋一長い海の上の橋」と呼ばれていたとの事で、知多と三河が車で往来できるようになりました。

大正時代の心身の健康法「江間式心身鍛錬法」に参加する皆さん。
亀崎の老舗料亭 望洲楼
望洲楼は半田市の景観重要建造物としても認定されている知多半島屈指の老舗料亭です。幕末の安政二年(1855年)に料理旅館として創業。明治の初めに現在の緑豊かな丘陵地に屋敷が配置され、これを機に屋号を「望洲楼」としました。福沢諭吉や田山花袋、柳田国男、西郷従道(西郷隆盛の弟)など、歴史に名を残す著名な文化人も数多く訪れています。
複雑に入り組んだ階段と小庭、日本情緒溢れる風情と海からの潮風、古き良き時代にタイムスリップしたかのようなひと時を満喫できます。

お客さんを待つ人力車と車夫。玄関前の佇まいは今とほとんど変わっていません。

客間から一望できる衣浦湾。
昭和の作庭家 重森三玲(しげもりみれい)の庭
昭和40年、望洲楼は力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水の庭園を得意とする重森三玲に作庭を依頼しました。令和5年、その庭を当時の面影のまま、新設された特別室の横に移設。昼も夜も枯山水の庭を愛でることができます。


現在、特別室から見える重森三玲作庭の「寿仙庭」。

「庭記」
吉田初三郎作 望洲楼鳥瞰図 (昭和12年)
作者は富士山が描かれた鳥瞰図が日本各地に数多く残されている「大正の広重」とも称された吉田初三郎。望洲楼には、初三郎が手掛けた肉筆画など、貴重な資料が数多く現存しています。

望洲楼鳥瞰図

パンフレットの表紙絵も吉田初三郎によるもの。
※パンフレット(複製)を希望の人は望洲楼まで
写真及び情報提供
料亭 望洲楼
半田市亀崎町3-71
☎︎0569-28-1136
